そして、自分が、誰に対しても、同じように接しているかっていうのも
やっぱり、人によって違っているし。
ありのまま、ってなんだろう??
きっと見たままっていうことでもないし。
好意的に感じている人なら、「〜してくれた」って気分になるし、
嫌悪的に感じてる人なら、「〜された!!」ってなるだろうし。
ま、そんなこと考えてもしょうがないんだけどね。
この間、イラン映画見て、いろいろ考えてしまった。
『彼女の消えた海辺』

去年、名演小劇場で上映されてたのだけど、予告かなにかを
みて行こう!!って思っていたのに、期間短くて終っていた。
この間、ツタヤにいったら、ちょうど、準新作も100円という
ことだったので、さっそく借りてきたのでした。
にしても、劇場で見たかったものが、DVDが貸し出されて、
新作のときは、「まだ、高いし」といって借りず、
準新作のときは、「もうちょっと待てば、旧作扱いだから」といって借りず
旧作になると「ま、いつでも借りれるから、今日はいいか」
ってなるのは、わたしだけなのかしら???
さてさて、映画の内容ですが、
テヘラン近郊の海辺のリゾート地にバカンスに訪れた男女の中に、セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)が誘ったエリ(タラネ・アリシュスティ)もいた。トラブルに見舞われながらも初日は楽しく過ぎ、2日目に事件が起きる。海で幼い子どもがおぼれ、何とか助かったものの、エリの姿がこつ然と消えてしまっていたのだ。
エリは、溺れた子供を助けようとして海にはいっていったのか?
それとも、なにかで嫌になって、突然ここを去ってしまったのか??
というような内容なのですが、この映画のすごいところは、
いなくなったエリのことを、実は、旅行に誘った主人公である
セビデーも、エリの正確な名前すら知らなかったということ。
だから、もちろん、何をしたら怒るか、どんなときどんな行動を
するかすらわからないということに、事件が起こって初めて気付くのです。
そして、その事件をきっかけに、仲良しグループの中でも、どんどん、
心のほつれが人に、向かって苛立ったり、傷ついたり・・・
「昨日まで、あんなにも、うまく行っていて、あんなにも分かり合えてると
思っていたのに・・・・」
ってきっと、この物語の中の人たちは、思ったのではないだろうか???
でもね、それって、事件どうこうでなくても、あるよね??
自分が仲いいと思って話してる人が、他の人とかと話していて、
「ええええ〜???」
みたいなこととか。
そういうときって、
「私は、この人の何を知って、仲いいとか思っていたんだろ」
とか
「この人のこと、実は、全然知らないかも」
とか思ったりするよね。
ああ・・・なんかまとまりない日記。
心のめがねに、色もくもりもなく、人と接したいものです。