2011年11月13日

『大人は判ってくれない』とか・・

昨日、名古屋で初上映された園子温監督の『恋の罪』を
みに名古屋シネマテークに行って来た。

一昨日確認したところ、「初日に監督挨拶はない」とのこと。

残念に思いつつも、なんとなく、一番乗りでみたい。
というか、気分が上がっているときに行かなければ、
タイミング逃して、行けなくなるおそれがあるからなのです。


しかし、昨日は、晴天。
このないい天気の日は、どこかで日向ぼっこして眠りたい・・・

などという心の葛藤と戦いつつ、気付けば、
上映10分前に映画館近くの駅にいるという、なかなかの顛末。

ま、今の回が駄目なら、知り合いのコーヒー屋で
まったりしてから、また、来よう。
などと思ったら、

  「ぎりぎりは入れますよ」

といわれ、最前列の一番端っこの座椅子へ。

座椅子は初めてだけど、すごく楽チンだった。

内容は・・・・これから見たい人沢山いると思うので、
省略。
(そのうち、一項目分使って書くつもりなので)

でも、とにかくすごかった。
私は、とても好きです。
もう一度見に行ってもよいな〜って思う。

人の堕ちていく感じとか、狂気的な日常を
書くのがホント、すごいうまいよね、園監督って。

前作『冷たい熱帯魚』や、『愛のむき出し』や、『紀子の食卓』
が好きな人が大好物でしょう、きっと。

人のグロイところが、出てる感じのする。

私は、ホラー小説や、こういったホラー映画(?これはホラーじゃないか)
が好きです。

それは、きっと、人の弱さを丁寧に書かれていたり、
人の、駄目なところがもろ出ているのが
ホラーだと思っているから。

でも、ホラーという分野が好きというのでなく、
人間のもっているいろんな側面を見るのが
すきなんだと思う。


全然ホラーでないけど、大好きな作品がある。


フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』
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この映画を見た後、私は、一週間ぐらい失恋でも
したような喪失感を持ちつつ、恋のように、
頭から、この映画のことが離れなかった。


そして、その一週間後には、トリュフォーについての
本を買って、そのまた一週間後には、
人に、その本の話をしてたような気がする。

もちろん、その間に、何本かのトリュフォー映画を見つつですが。

トリュフォーの映画を見ているとなぜか泣けてくる。
何十年も前フランス映画なのに、リアルなのだ。


平凡社ライブラリー 
山田宏一『「増補」トリュフォー、ある映画的人生』
は、小説以外でめずらしく、何度も何度も読んだ。

大好きな言葉が何個もある。
その中の一つ

「  単なる喜劇は撮りたくないー
人生はかならずしもそれほど喜劇的ではないから。

  単なる悲劇もとりたくないー
人生はかならずしもそれほど悲劇的ではないから。」


このあともまだ言葉は、続くのですが、
この文からもわかるように、トリュフォーはリアルな「人生」を
撮ろうとしてたんだな〜と思うのです。

そして、自分の体験や、人の体験の話、本当に、言った言葉や、
言われた言葉を、そして、撮る寸前でも、台詞を、より、
リアルな言葉に、その場その場で変えていったらしいのです。

だからなのでしょうか、この人の撮る映画は
まるで幼いころの恋のように、ある意味、心の奥深くに、
くっきりとあとを残すのです。


posted by キノプール at 22:15| Comment(0) | 映画

2011年10月16日

映画『グッド・ハーブ』

コオモリを見た。

昔、よくコオモリをみてた、そして、コオモリの死体も。

だからなのか、何かしら、コオモリを見ると、
死に関しての物事を思い出すのだ。


私は、身内以外の人を亡くしたことが、数回で、
そのときの記憶を巡っては、ひどく、果てしない
迷路のようなところ行き着いてしまう。

答えのでない考えたち。


最近、映画にしても、漫画にしても、小説にしても、
あまりにも、感情がダブってしまい、
ところかまわず、泣いてしまったりする。

そして、お酒が入ると、更に、感情が、
ちょこちょこと現れてしまう。


この間見た映画は、メキシコ映画。
『グッド・ハーブ』
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簡単にいってしまうと、ハーブの植物学者である母と、
シングルマザーの娘の話。

パンフレットを読んでいて初めて知ったのですが、
メキシコで、中絶は禁止されているようです。
そのため、シングルマザーが多く、
子供は、地域全体(まあ、ご近所さん)で見てる
感じなようです。

娘は、奔放で、地元のラジオのパーソナリティーをしながら、
母の元旦那に、お金を援助してもらいつつ、子供を育てている。
母親に対して、薬草にしても、人生のことにしても、
しっかり話をするということもなく、日々を過ごしている。

そんな娘が母に頼まれ、ハーブの書類整理をしだすが、
母はアルツハイマーと医師に診断されて・・・


とにかく、植物の写されかたが半端でなく美しい。
あと、メキシコ映画は、基本、女性の映画が
ほぼないのですが、この映画を撮ってる監督さんは、
女性の生き方を見せている映画を撮り続けている人らしい
です。

人に、すごくおススメの映画かと聞かれたら、
そうでもないですが、この映画の中ででてくる
テーマの一つでもある(だろう)聞こうと
思ったときに、もう聞くことができないって
いう状態って、なんか、すごく分かる気がする。


隣に、いる人とか、近くにいる人たちに対して、

  「いつか聞こう」

と思って、聞けない状態って結構ある。
特に、近くの人(身内とか、恋人とか)だと
聞かなかったり、するけど、
常に、聞くことのできる明日が、あるとは限らない。


などと、いうことをまたまた、感じながら見てました。

私も、かつて、聞けなくなってしまった人がいて、
何が、本当だったのか、分からなくなってしまったけど、
今は、やっと、それが、どちらだったとしても、よくて、
もし、その人が、自分に言っていたことが嘘だったとしても、
もう、その嘘だったことすら信じようって思う。


あーなんか、暗い日記。


でも、今日は、明るい音楽聴いて絵を描いてます。
posted by キノプール at 22:35| Comment(0) | 映画

2011年09月26日

『彼女の消えた海辺』

人をありのまま、そのままを見るってすごく難しい。

そして、自分が、誰に対しても、同じように接しているかっていうのも
やっぱり、人によって違っているし。

ありのまま、ってなんだろう??
きっと見たままっていうことでもないし。

好意的に感じている人なら、「〜してくれた」って気分になるし、
嫌悪的に感じてる人なら、「〜された!!」ってなるだろうし。


ま、そんなこと考えてもしょうがないんだけどね。

この間、イラン映画見て、いろいろ考えてしまった。

『彼女の消えた海辺』 81TiZaJ7RBL__AA1500_.jpg

去年、名演小劇場で上映されてたのだけど、予告かなにかを
みて行こう!!って思っていたのに、期間短くて終っていた。

この間、ツタヤにいったら、ちょうど、準新作も100円という
ことだったので、さっそく借りてきたのでした。

にしても、劇場で見たかったものが、DVDが貸し出されて、
新作のときは、「まだ、高いし」といって借りず、
準新作のときは、「もうちょっと待てば、旧作扱いだから」といって借りず
旧作になると「ま、いつでも借りれるから、今日はいいか」
ってなるのは、わたしだけなのかしら???


さてさて、映画の内容ですが、
テヘラン近郊の海辺のリゾート地にバカンスに訪れた男女の中に、セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)が誘ったエリ(タラネ・アリシュスティ)もいた。トラブルに見舞われながらも初日は楽しく過ぎ、2日目に事件が起きる。海で幼い子どもがおぼれ、何とか助かったものの、エリの姿がこつ然と消えてしまっていたのだ。
エリは、溺れた子供を助けようとして海にはいっていったのか?
それとも、なにかで嫌になって、突然ここを去ってしまったのか??

というような内容なのですが、この映画のすごいところは、
いなくなったエリのことを、実は、旅行に誘った主人公である
セビデーも、エリの正確な名前すら知らなかったということ。
だから、もちろん、何をしたら怒るか、どんなときどんな行動を
するかすらわからないということに、事件が起こって初めて気付くのです。

そして、その事件をきっかけに、仲良しグループの中でも、どんどん、
心のほつれが人に、向かって苛立ったり、傷ついたり・・・

「昨日まで、あんなにも、うまく行っていて、あんなにも分かり合えてると
思っていたのに・・・・」
ってきっと、この物語の中の人たちは、思ったのではないだろうか???


でもね、それって、事件どうこうでなくても、あるよね??
自分が仲いいと思って話してる人が、他の人とかと話していて、
「ええええ〜???」
みたいなこととか。
そういうときって、
「私は、この人の何を知って、仲いいとか思っていたんだろ」
とか
「この人のこと、実は、全然知らないかも」
とか思ったりするよね。


ああ・・・なんかまとまりない日記。

心のめがねに、色もくもりもなく、人と接したいものです。





posted by キノプール at 20:55| Comment(0) | 映画